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どういう会社に現地採用で就職したか?
会社名は伏せますが、私の自営業は建設関係ですのでそのキャリアを生かした方が良いと言う転職エージェントのアドバイスに従ってエージェントの勧めるままに就職を決定しました。
本音を言うならば自営業の仕事内容にウンザリしていたので全く新しい職種で新しいチャレンジをしたかったのが本音でしたし、何よりも第1志望の現地採用の国はタイでした。ですが最初に繋がったエージェントの担当がベトナムと言う事に加え、エージェントの人となりが個人的に気に入ってしまったのが要因です。
建設業と言えど東南アジアの建設って建物を建てる仕事ばかりなんです。私の経験は道路よりも下の仕事ばかりで、日本では大まかに道路より下を「建設」建物を建てる仕事を「建築」と分類されます。なので国家試験も建設系と建築系は分かれて存在しています。
つまり、私の経験した事の無い建築系の仕事である段階で不安はつきまとっていましたし、なおかつ作る物が専門的な分野の仕事であった為に不安はありました。
不安材料を数えればキリがありませんが、それを含めて私の人生の新しいチャレンジだったので覚悟を決めて私はベトナムに渡りました。もう日本には戻らないと言う覚悟を持っていました。
オフィスの規模に飲まれる
内定が決まった後に個人的な旅行でホーチミンを訪れました。その際に折角なのでと言う事で会社の方々と会食をしました。
待ち合わせはオフィスの入口でした。オフィスに案内されて会議室で待たされます・・・正直この段階で規模の大きさに飲まれていたでしょう。オフィスビルの高層階の大きな会議室でした。
会社責任者はとてもフランクな方で、きっちりネクタイをしていた私にネクタイを外すように言いました。会議室から出てオフィス全体を見せて頂いた時には「なんて広いオフィスだ」と舌を巻きました。
簡単にオフィスの説明を受けて会食に行きました。
ベトナムに渡航
私の就業開始日は2020年2月のはじめでしたが、私はベトナムに少し早めに入って生活環境に慣れようとしました。ですが・・・2020年のベトナムのテト(旧正月)は1月25日からだったのですね。
私はテトと言う物がどういう物かわかりませんでしたが、住居を決める際に日系の不動産屋を利用しましたが、テト前にも関わらずに物件のオーナーが帰省していて連絡がつかないと言う事態にも見舞われました。つまりベトナムにとってテトとはそれほど国全体に影響があるのです。
少ない選択肢の中からオフィスに徒歩で通勤できる物件に居を構えますが、テトになると商店が全てと言って良いほど閉店すると聞いていたので、スーパーで日持ちのする食料を書い溜めしておきました。
テトに近づくと交通量は増えましたが、テトに入ると一気に街が静かになり商店が一気に閉まりました。昭和の日本の正月を思い出しました。
テト中はオンラインでの英会話で勉強に励んでいました。それは就職する会社の社用語が英語であった為です。とにかくテトは期間中は孤独とホームシックと戦う日々でした。
教育係がいない
テト期間を乗り越え、少しベトナムでの生活に慣れたかも知れない頃に初出勤の日はやってきました。
そう聞いていた私は原稿を書いてきていましたが、オフィスには100人程度の人間がいます。その中央でマイクも無しに自己紹介するのです・・・
同時に2人のベトナム人と共に紹介されましたが、他のベトナム人は物凄い小さい声で経歴を言っただけでした。これでは端の人は声すら聞こえないでしょう・・・なので私は思い切り声を張って、自分の書いてきた原稿を思い切り読みました。お陰でスタッフに物凄い印象がついたようでした。
新人研修を受けて・・・やる事がなくなりました。もちろん労働許可証の申請や銀行口座の開設など、何も準備は整っていません。なので私は配給されたラップトップで権限の与えられた会社のサーバーの中のデータを見て仕事を把握しようとしました。
本当は私には教育係が付く予定でしたが、その教育係をする予定の日本人の先輩は急遽大きな案件で出張になってしまいました。つまり私には日本人の教育係がいなくなってしまったのです。
責任者に聞きました
・・・ベトナム人です。
私は面接の際に「旅行でタクシーに乗って移動できる程度の英語力しかありません」と伝えています。
思い切って「今できる仕事を教えてほしい」と聞きました。
すると・・・この仕事の流れを1から順番に説明してくれます。英語なのでイメージで理解するしかできません。
私は真面目な日本人の中でも真面目だったのでしょう。仕事であるから何か仕事をしなければと言う責任感に押しつぶされそうになり始めていました。
固形物が食べれなくなった
就業1週間を終え、退社前に責任者と話しました。
責任者なりに私を励ます言葉であったかも知れないが、私には逆にプレッシャーに感じてしまっていました。
帰宅して着替えて夕食を食べに行くのですが、その日は食堂でオーダーこそしたものの食べれなかったのです。
就寝も早かったです。
翌日起きたくなかったので昼頃まで寝ました。
それ以降、私は水だけを飲みようにしました。
立てなくなる
翌週の出勤日・・・相変わらず食事は出来ていません。それでも出勤日はやってくるので出勤します。
この週は私の仕事の勉強の為に完成して運用している現場と現在建築中の現場を回るスケジュールでした。各場所はホーチミンから車で1時間半〜3時間と言った所でしょうか?
初日は2箇所回る予定でしたが、都合が悪くなり1箇所だけ行く事になりました。アテンドはベトナム人スタッフです。私は気を使って行き帰りの車の中でコミュニケーションを取る為に英語で頑張って会話しました。
昼前にオフィスに帰れたので食事は食べずにとにかく寝ます。そして午後になって同じオフィスにいるほとんど話した事の無い日本人スタッフに相談したのです。
そう言うわけで就業後に居酒屋に連れて行かれて相談に乗ってもらいました。
先輩は気楽に言ってくれますが、私は雇われた身として仕事をしなければと言う思いでいっぱいでした。
居酒屋メニューで先輩が勧めてくれますが固形物が全く食べれないのは変わらなかったので、ビールだけ飲みました。
その日は先輩がタクシーでアパートまで送ってくれて就寝しました。
次の日、大きな建設中の現場に行きました。
出来上がった物を見るよりも建設中の物を見るほうが勉強になり、私の体力関係なく暑い中色々と見て回りました。この日はここの現場を1日視察するスケジュールでした。
アテンドのベトナム人スタッフも説明してくれています。言っている事を理解しようと私は必死です。
仕事の内容は理解できるのです。物を作る為にスケジューリングをしっかりする・・・ただ、私が経験している物と規模があまりにも違い大きい物であった事、言葉の壁、何もかもがプレッシャーになりました。
その現場を指揮しているのが日本人スタッフで昼食に招待されました。固形物が食べれない私は正直困りましたが、せっかくの好意ですので断れる訳でも無く昼食を頂きました。
食欲が無いと言う理由で食事を残してトイレに行って吐きました。
その後の事は良く覚えていません。帰りのタクシーで物凄い目眩に襲われて、オフィスに到着した頃には立てない状態でした。
自力で病院に行く
会社は医療保険に加入していたので、オフィスのエントランスで自力で保険会社に電話して行くべき病院名前と住所を聞きました。おぼつかない足取りでタクシー乗り場でタクシーに乗り、指定された病院の住所をタクシー運転手に見せて病院に向かいます。
病院の日本人医師に「頑張って食べましょう」とだけ言われました。
診察中に会社の責任者やスタッフ、はたまた転職エージェントから電話が激しく鳴っていましたので、病院のエントランスで責任者に電話をかけようとしたら会社の先輩から電話が入ったので出ました。どこの病院にいるか?迎えに行くと言う事を言われて私はおとなしく待っていました。数十分後に先輩が到着して、どう言う処置を受けたのか聞かれてありのままを説明しましたら、「ブドウ糖の点滴くらいはするべきだ!」と先輩は激怒しました。そしてそのまま病院に文句を言いに行きましたが病院はすでに閉まっていました。
セカンドピニオン
先輩が今でも処置可能な病院を調べたら、偶然にも私が健康診断を受けた病院でした。
その時は私は話す事も困難だったので、手続きや症状を先輩が伝えてくれたので助かりました。緊急処置室でブドウ糖の点滴を受けます。
それまでぼやけていた視界や意識も確かに少しマシになりました。点滴が終わった頃には足元はふらつきますが、倒れる感じでは無くなっていました。
連夜先輩にアパートまで送ってもらいます。翌日は休むように言われました。
私はこの時はまだベトナムでの就労は諦めてなかったのです。
1時帰国を決心する
翌日、相変わらず固形物は食べれません。体重を測ると数日で5キロ減っていました。
母にLINEで電話しました。
「それはアカンでとりあえず帰ってきぃ!」
その言葉に涙が勝手にでました。
今の状況下に希望より不安が完全に勝ってしまったのでしょう、そしてそれほど私は強い人間では無かったのです。
考えました・・・が、1時帰国して体調が回復したら戻ってきたら良いと言う結論に至りました。
そしてその準備を始めます・・・期間がわからないのでアパートは解約する事にしました。
会社が航空券を手配してくれると言ってくれたのですが、私の勝手なので自分で手配しました。
荷物をまとめて持って帰れない物はおいて行く事にしました。アパートのオーナー夫人が「体を直してまた戻ってきなさい」と言ってくれた時は泣きそうになりました。
会社には休職扱いと言う事にしておきました。
新型コロナウイルス
私が帰国してすぐにコロナウイルスが全世界に流行しました。そのお陰で私はベトナムに戻る道が閉ざされてしまいました。
長い目で見て戻ることは可能かもしれません。ですが、その頃まだ私は食事をほとんど採れない状況であった為に、会社側に退職の意向を伝えました。
タイミングもそうですが、私自身の性格が今回のベトナム就労に失敗した原因である事は確かです。今後海外に転職を考えている人にこう言う事もあると言う事を知って欲しいので書いてみました。